【この発想で自分らしく】どんな個性的イラスト・歌・写真も真似から

PART1 自分らしく
30代男性
らしさ初級

有名な画家のように、その人とひとめでわかるような個性的なイラストが描きたいのだけれども、どうやったら「自分らしい」絵が描けるようになるんだろう?

ラシク
らしさ中級

どんなに個性的と思われている漫画家も音楽家も、いろんな人の真似をしながら個を確立しているんだよ。

「自分らしい」作品を作りたい、と頑張っているのにどうしても誰かの真似になってしまっていると感じている方もいるのでは、、、。と思い、今回は

自分らしい作品を作り上げるまでの個性的な人達の「真似」の発想

を考えてみました。

「自分らしい」作品を作りたいのに誰かに似てしまう、と悩んでいる方に読んでいただきたいレシピです。

[rtoc_mokuji title=”” title_display=”” heading=”” list_h2_type=”” list_h3_type=”” display=”” frame_design=”” animation=””]

共通することは、一時期集中して真似することで、後から個性が浮き出てきたというところですね。

「真似・模倣」の大切さ

実際に個性的な人達のエピソードに入る前に「真似」や「模倣」の大切さを説明したいと思います。

江戸時代、日本には「寺子屋てらこや」という塾のような学校のような存在があり、指導者(師匠)が生活に不可欠な「読み」「書き」「算盤そろばん」を教えていました。

そこには9歳から18歳頃まで幅広い学習者(寺子)が習いにきており、年齢別ではなく各々の習熟度で習う内容が変化し、師匠だけではなく習得した寺子ができていない寺子を指導するような形もとられていました。農家の作業時間など寺子の生活時間が優先され、生活の中に学習が組み込まれていました。

そのような、個々の習熟度と生活に沿った学習法を持つ寺子屋が一番重視していたのが「模倣」なのです。

例えば寺子は文字の「書き方」「読み方」を師匠から習うとすぐに自分の席に戻り、何度も繰り返し真似して身につけ、同じように読み書きできるようになったかを師匠に確認してもらいます。これが寺子屋の一連の学び方です。

授業で用いる教科書も現在のように刷り上がったものを購入するのではなく、お手本を元に自分達で写すことからはじまります。字を写すことができない子のために教科書を作ってあげることも寺子の勉強の一つでした。

多くの寺子は12、3歳で寺子屋を修了すると仕事に出るため、商人の子には「商売往来」、農家の子には「百姓往来」などの往来物を使って仕事の基礎知識を学ばせました。難しい儒学書や日本の古典書もそのまま覚えるため、大人になってもそらでいえるほど高い教養が身についたのです。

一番初めに正しい知識を手本として、まずは疑問を持たず徹底的に真似(模倣)を繰り返して体得していくという考えは、守破離の守にも通じる考え方で非常に理にかなっています。

そういった「寺子屋」の学習法の素晴らしさは以下の本を読めばさらによくわかります。

オススメ!
知多半島に実在した「鈴渓義塾」という名塾の物語。そこでの熱意溢れる師匠による一般的な寺子屋の学習法に加えたユニークな学習法は、大いに現代の学校教育の参考になると思います。
教育関係の方に是非読んでいただきたい!

[itemlink post_id=”13912″]
ラシク
らしさ中級

なぜ寺子屋式学習法が日本の教育機関で研究応用されないのか、不思議でならないんだけどな。

模倣エピソード1 - イラスト

日本でひとめみて誰の絵かわかる漫画家といってまず思い浮かぶ方。

例えばこの絵は水木しげるさんだとわかる方が多いのではないでしょうか。

でもこちらの絵はどうでしょう?

妖怪でもなく時代劇調でまったく「らしく」ないですよね。

これらの絵は水木しげるさんが貸本作家として生計を立てていた時代に描かれた作品です。

まだ『ゲゲゲの鬼太郎』で一世風靡する前、個性を確立する前だったというのもありますが、お金を稼ぐため、版元からお願いされるままに、時代劇・宇宙もの・少女向けなど苦手なジャンルの作品もどんどん書いていた頃だったのです。

誰が見てもわかるような個性的な作風に至る前は、アメコミ風や劇画風など要望に合わせ、売れる作品にするために様々なスタイルを他者の作品から真似ていました。

結果として自分のスタイルが徐々にできあがっていき、それが世に認められたのですが、そこに至るまでは模倣の時代があったのです。

模倣エピソード2 - 音楽

音楽家として個性的であり、オリジナルな楽曲をたくさん出したバンドとして真っ先に思い浮かぶのがビートルズ(The Beatles)ではないでしょうか。

1960年代から1970年にかけて活動したイギリス・リヴァプール出身4人組のロックバンドで、20世紀を代表する音楽グループといえる彼らですが、いきなりオリジナル楽曲で活動をはじめたわけではありません。

正式デビューする前の下積み時代にハンブルグで1日8時間計1200回ものステージをこなした彼らが主に演奏したのはアメリカのロックンロール。

パブやクラブで演奏していた頃は典型的なロックンローラーバンドであり、彼らはリーゼントに黒の革ジャン、ブーツに身を包んでアメリカのロックンロールを盛んにコピーしていたのです。守破離の守の時代ですね。

ただ、1日8時間も演奏していると全く聞いてくれないこともあり、単なるコピーではなく聴いてもらえるように工夫する日々を過ごしたことが、後にビートルズを大成させたのでした。

エルビス・プレスリーやチャック・ベリーといった音楽家に強い影響を受けていた彼らも、プロによる宣伝戦略や自らのセンスにより徐々に独自のスタイル、独自の楽曲を示すようになり、他に例のないオリジナルなバンドに成長していきました。

オススメ!
ハンブルグ時代のライブ音源。本格デビュー前のオリジナル曲ではない音楽を奏でる貴重なビートルズの音源を聴くことができます。

[itemlink post_id=”13927″]

模倣エピソード3 - 写真

日本の写真家として思い浮かぶ方として篠山紀信さんがいます。

第一人者の彼がインタビューにてまさしく「真似」の大切さについて述べているので、ここに引用させていただきます。

とにかくそういう人たちを見て『いいな』と思って、どんどん真似するんですよ。
写真ってね、真似してもそっくりには撮れないんだから。撮れないけど、そこから自分のオリジナリティが出てくるから、僕はどんどん若い人は真似したら良いと思うんですよ。
だからハッと感じて『いいな~』と思い、こういうのを撮りたいなと思ったら、そっくりそのまま真似してみれば良いんですよ。でも、そのようには撮れない。撮れないけど自分の写真にはなっていく。だから常にアグレッシブにものを吸収し、それを表現に結び付けていく、そういう行為をずっとやれば良いんですよ。だから、何に影響されたかってもう、とにかくずっと影響されっぱなしですよ。

引用サイト:ふりっぱーWEB

前後の詳しい話はサイトをご確認いただくとして、彼はまさに真似の大切さを理解して、写真に限らずいろいろなものから影響を受け、自らの写真という形に落とし込んで個性を出してきた方だといえます。

[itemlink post_id=”13933″]

オススメ!
1959年から2009年まで篠山紀信によって撮り続けられた膨大なNUDE PHOTOから、時代やモデルを縦断。宮沢りえ、樋口可南子、高岡早紀、荻野目慶子、小島聖、葉月里緒奈、井上晴美、及川麻衣、月船うらら、かでなれおん、原紗央莉、明日花キララなど、日本を代表する女優の最高の作品を最高の品質で収めた最高級写真集。

ラシク
らしさ中級

どんな巨匠も、最初は誰かの真似をしていたとわかれば、ちょっとは安心できるかな?
ただし、いつまでもその段階でいたらダメだし、真似を自分の作品だと思い込んじゃうのはもっとダメだよ!

まとめ

いかがでしたか?今回は、

自分らしい作品を作り上げるまでの個性的な人達の「真似」の発想

についてまとめました。

いくつかの例をみて、真似になってしまうなどと後向きに考えてしまうような「真似(模倣)」に対する違和感が消え、積極的におこなった方がいいことがおわかりになったかと思います。

ただし、真似を隠して自分のオリジナルだと主張して発表してしまうのは「盗作」になってしまいますので気をつけましょう。

あくまで「破離」に進むまでの「守」の段階だという気持ちで、謙虚に優れた先人達の真似をしていくことが肝心です。

この記事があなたの「自分らしさ」をつらぬくためのお役に立てたら嬉しいです。

コメント

  1. […] […]

タイトルとURLをコピーしました